テレビ番組『ラストアイドル』から生まれたグループ、「ラストアイドル2期生アンダー」の米田みいなは、小学校3年生からPerfumeやモーニング娘。など有名グループメンバーを数多く輩出する名門、アクターズスクール広島に通い始めた。
パフォーマンスレベルの高い精鋭が集まるなか、スクールの代表ユニット「SPL∞ASH」のメンバーに選ばれ、TOKYO IDOL FESTIVALのメインステージや、Jリーグ・サンフレッチェ広島のスタジアムでパフォーマンスをするなど、名実ともに名門スクールの“エリートアイドル”であった。
しかし、様々なオーディションを受け続けるも結果が出ず、後輩たちがハロープロジェクトやAKB48など、有名グループのアイドルに加入していく姿を見て焦る気持ちが募っていく。
彼女がアイドル名門校を飛び出し、『ラストアイドル』のオーディションに応募したのは、そんなタイミングだった。
彼女はなぜ、アイドルを目指したのか。アイドルになって、望んでいたものを得ることはできたのかーー。
『ラストアイドル』に賭けた少女の、ビフォーアフターに迫る。 当時3歳。引っ込み思案だった
「デパートの着ぐるみがムリ」だった引っ込み思案少女2001年9月、広島県で生まれた米田みいな。
幼少期は人見知りで、人前に出るなんてもってのほか。引っ込み思案な女の子だった。
「デパートに行くと着ぐるみがあるじゃないですか。子どもだから触ったり、一緒に遊んだりしたいのに、恥ずかしくてムリなんですよ。お母さんに『行ってきなよ』って言われて、しっぽだけ、ちょんって触るみたいな。臆病な感じでした」
そんな性格を変えるべく、両親は米田に習い事を始めさせようとしていた。彼女は、そのタイミングでダンスに興味を持ちはじめる。
「母と一緒にいろいろ探した結果、小学3年生の頃にアクターズスクール広島に入ることになったんです。でも、誰かに憧れていたわけでもなくて、本当に軽い気持ちで始めただけでした」
だが、結果的に高校3年まで計9年通い、様々な活躍を見せることになった米田だが、入校からしばらくの間は劣等生だったという。
「本当に音痴だったし、アクターズスクールに入るオーディションでも、テレビも見ないから歌もぜんぜん知らなくて嵐さんの歌を歌ったり。自分でダンスを作って披露するテストがあったんですけど、その日は本当に行きたくなかったです。スクールに向かう車の中で『行きたくない!』って大泣きしたこともあって。入りたての頃は本当につらかったです」
Perfume、モーニング娘…有名アイドルを輩出する“アイドル名門校”で挫折を乗り越えた少女<米田みいな>
引用元:テレ朝POST
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