指原ら卒業で看板失ったHKT、新エースに田中美久「私たちで新時代を」

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指原ら卒業で看板失ったHKT、新エースに田中美久「私たちで新時代を」

 HKT48の田中美久(18)が23日、東京ドームシティホール(東京都文京区)で、初めてのソロコンサートを開く。公演を前に、HKTの周囲はかつてないほどめまぐるしく動いている。独立採算制の運営会社への移行や1・2期生の相次ぐ卒業、AKBグループの人気曲のファン投票「リクエストアワーセットリストベスト50」での躍進…。田中美久も、18日のHKT選抜メンバーコンサートであらためて、グループ新章のエースに指名された。ファンへ、メンバーへ、ソロ公演は新時代を引っ張る意志と覚悟を示す場となる。

【写真】新エースとしてHKT48を引っ張る田中美久

 手のひらを前にかざし、ゆっくりと左右に広げていく。選抜コンサートの本編最後の曲。イントロが終わると同時に、閉じていた目を開き「意志」が始まった。鋭く強い視線。表情が崩れるのもいとわず、歯を食いしばって激しくステップを踏む。2019年の九州7県ツアーからずっと貫かれてきた気持ちの入ったパフォーマンスは、さらにすごみを増していた。

 言葉でもステージを引っ張る。コンサート終盤、こうファンに呼びかけた。

 「HKTメンバーは家族のような存在です。今こそ、より一層、団結し、信念を持ち、私たちでHKT48の新時代を築いていきたいと思います」

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 2013年11月、3期生として活動をスタートさせた。当時は最年少の12歳だったが、子どもらしい無邪気さと、大人びた魅力を兼ね備えていた。同学年で同じ背格好の矢吹奈子とは「なこみく」と呼ばれ、二人で売り出されることが多かった。初めてシングル表題曲の歌唱メンバーに選抜されたのも、初めてのCM撮影も一緒。18年には11thシングル「早送りカレンダー」でダブルセンターを務めた。

 常に隣を歩いてきたライバルでもある盟友は、18年10月から韓国発のアイドルグループ「IZ*ONE」に専念し、HKTとしての活動を休止した。

 「(常にペアだったことを)昔はめちゃめちゃ疑問に思ってた。『なんで何をするにも一緒なの』って。最近は、二人だから成長できたことが大きいことに気づいた」

 常にセットで見られ、比べられ、重圧も分け合ってきた盟友との別れ。「田中美久」としての「独り立ち」が始まっていく。

 18年のAKB選抜総選挙で首位争いを演じた宮脇咲良も矢吹とともに韓国へ旅立ち、グループを巡る状況は変わり続けた。19年の1月、3期生以降のメンバーで構成するユニット「F24」の博多座コンサートでも美久は先頭に立ち、加入後間もない5期生たちを背中でリードした。

 「不安なこと、つらいこともたくさんある。でも、メンバーとファンの皆さんがいれば、どんなことも乗り越えられると信じている」

 声を震わせ、博多座の舞台で思いを紡いだ3カ月後、厳しく温かく見守り続けてくれた大黒柱の指原莉乃が卒業。6月には、休養中だった兒玉遥もグループに戻らず卒業という道を選択した。結成時からフロントに立ち続けた「看板」たちを、続けざまに失うという未曽有のピンチ。松岡はなとともに「新生HKT」の顔に選ばれたのは田中美久だった。

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