作曲家・佐瀬寿一 名作「およげ!たいやきくん」の陰に隠れた数々のヒット作

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引用元:夕刊フジ
作曲家・佐瀬寿一 名作「およげ!たいやきくん」の陰に隠れた数々のヒット作

 【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】

 企画物は時に大ヒットを生むことがある。「およげ!たいやきくん」は売り上げが450万枚超。配信が中心の今、もう超えられないだろう。

 1975年、「ひらけ!ポンキッキ」からヒットしたので、それを意識して企画したのが「カエルンバ」。「黒猫のタンゴ」に対抗して、猫がタンゴならカエルにはルンバというわけだ。単なる語呂合わせ。おたまじゃくしが恋をしたが、まだ子供だから大人のカエルになってから恋をしなさい。まだ早いから帰りなさいというわけである。

 作曲は「およげ!たいやきくん」の佐瀬寿一さんに依頼した。佐瀬さんは物静かな方で、詞を見せると「分かりました」という感じだったが、カップリングに考えていた子供の詩コンクール入賞の「青空」を見せると、「うん、これ面白いから1番、2番を作りましょう」と逆に提案された。

 「僕は青空とにらめっこするけど いつも青空に負けちゃうんだよね」という、都会の子が夏休みに旅行した北海道で見た青空を詩にしたものだった。頭で作った企画より、子供が自然に書いた詞を見逃さなかったのだ。ドラマ「ひばり物語」で美空ひばりの子役時代を演じた楠野紋子(当時小学6年生)に歌唱してもらった。

 佐瀬さんは大学に入ると、ビートルズのコピーバンドに始まり、69年にピオニーズの「消えた想い出」で作詞・作曲家としてデビュー。その後、ずうとるびの「恋のパピプペポ」「みかん色の恋」がヒット。同じアパートに住んでいた大学の同窓生、高田文夫氏が「ポンキッキ」のスタッフだったことから「およげ!たいやきくん」や「パタパタママ」などを手がけた。

 「およげ!たいやきくん」がとてつもなくて目立たないが、76年の山口百恵の「パールカラーにゆれて」、77年にはキャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」、80年は畑中葉子の「後から前から」といったヒットを飛ばしている。

 仕事がら、作詞家や作曲家らとはよく飲み食いするが、佐瀬さんとは仕事場でまじめな顔して仕事の話ばかりしたような記憶しかない。一度、佐瀬さんは、出身地の勝浦で獲れた魚を発泡スチロールロールにいっぱい仕事場に持ち帰られたのでそれを肴に一杯やった思い出がある。

 年月を経た今、佐瀬さんに大きな海をテーマにした歌を作ってもらいたいがどうだろうか。

 ■佐瀬寿一(させ・じゅいち) 作曲家。1949年3月30日生まれ、70歳。千葉県勝浦市出身。「茅蔵人(かや・くらんど)」の名前でも活動している。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。2017年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、現職。

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