ゲイの僕が女性アイドル「モーニング娘。」にどハマリしている理由

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引用元:現代ビジネス
ゲイの僕が女性アイドル「モーニング娘。」にどハマリしている理由

 1998年、小学6年生だった僕のもとに、ある1本の電話が。
「女の子からよ」と言う母親から受け取った受話器の向こうで、女性がやたらハイテンションで騒いでいました。

【写真】中澤裕子、高橋愛、道重さゆみ、譜久村聖…リーダーも変わったモーニング娘。

 「キャーッ!  しんくん、こんにちはー!」
「あ、はい、こんにちは……」
「ラジオ、聴いててくれましたか~!?」

 なんのことだろう。ラジオなんて部屋に置いてもいないんだけど……。
きっと間違い電話だろうと、女性が勝手に話を進めているのも気にせず、僕はさっさと電話を切ってしまいました。

 次の日、学校に登校すると、同じクラスの女子から一言。
「昨日、モーニング娘。のラジオで喋ってなかった?」

 これが、後に大ファンとなるモーニング娘。と僕との出逢い。
夢で見たとかじゃなくて、ほんとの話。

あの電話を仕組んだのは誰?

 電話の相手はモーニング娘。というアイドルグループのメンバーで、昨日のラジオは葉書を送ると抽選でモーニング娘。が電話をかけて来てくれるという企画だったと、クラスの女子が教えてくれました。
「電話切られちゃって泣いてたんだよ!」とも。

 僕は彼女たちの存在を知らなかったのに、モーニング娘。が僕の家に電話をかけて来て、電話口で僕の名前を確かに呼んだ、不可解な事件……。

 きっと誰かがいたずらでラジオに応募したに違いない。友達に手当たり次第問い詰めたのだけど、みんな「自分じゃない」と言い張りました。

 あれから22年。この謎は、いまだに解明できていません。
できる限り調べてはみたものの、あれは何月何日だったのか、何という番組の企画だったのかもわからずじまい。
探偵ナイトスクープにでも依頼してみようかな。 ゲイの僕が女性アイドル「モーニング娘。」にどハマリしている理由 97年9月14日の結成から3年間リーダーをつとめた中澤裕子。24歳で、最年少の福田明日香とはダブルスコアだった Photo by Getty Images

モーニング娘。はひとつの「時代」だった

 あの電話があった数日後、モーニング娘。が「ミュージックステーション」に初登場して、僕は初めて彼女たちを認識しました。1998年1月のことです。
「僕が泣かせてしまったのはどのメンバーなんだろう」と、少しの罪悪感を抱きながら。

 かと言って、それからすぐに彼女たちのファンになったわけではなくて。

 その頃には既にゲイだと自覚していたので、テレビを見ていて憧れる対象は、同性のジャニーズでした。
姉が買っていた「Myojo」をいっしょになって楽しんでいたのを覚えています。
それに、同性愛者としての自分に葛藤していた思春期だったこともあって、J-POPといえば、浜崎あゆみやCoccoなんかの、心の苦しみを曝け出した歌詞を選んで聞いていたし、洋楽も聴き始めて、同級生がまだ知らない音楽にこそ魅力を感じるような少年でした。

 音楽業界もその頃は「アイドル氷河期」と呼ばれていて、安室奈美恵、SPEEDから宇多田ヒカルまで、実力派女性シンガーが頭角を現し、女性アイドルが低迷していた時代。「モーニング娘。なんて聞いてたらちょっとダサい」と、当時の僕は思っていたわけです。

 そんな風潮の中でも、やがてモーニング娘。は、世間の注目を一身に集める国民的アイドルへとあっという間に大躍進しました。

 ASAYANを見ていないとクラスの話題に乗れなくなったし、歌番組もバラエティ番組も、ドラマもCMも雑誌も広告も、モーニング娘。だらけ。
ピーク時の新メンバーオーディションでは、2万5千人という驚異的な参加者が集まり、「私もモーニング娘。になりたい!」と願う女の子が日本中に急増しました。

 人気メンバーが卒業してもグループが存続できたり、新メンバーを増員したり、楽曲によってセンターポジションのメンバーが変わったりと、今では当たり前になっているアイドルグループの運営スタイル、その礎を築いたのは間違いなくモーニング娘。です。

 「アイドル氷河期」と呼ばれた時代の中でも、エンターテインメント業界を席巻し、後続のアイドルグループにも多大な影響を及ぼしたモーニング娘。は、2000年代初頭にひとつの時代をつくった、というより、ひとつの「時代」そのものだったと思うのです。

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