加藤シゲアキ『できることならスティードで』を読むと、バイクで旅に出たくなる【アイドル総合】

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加藤シゲアキ『できることならスティードで』を読むと、バイクで旅に出たくなる

 バイクの免許が欲しくなるのはこういう本を読んだときだ。加藤シゲアキ著『できることならスティードで』が3月6日に上梓された。本書には「旅」がテーマの15編のエッセイと3編の掌編小説が収録されており、これまでの作品とはまた違った加藤シゲアキが楽しめる。

 アイドルグループNEWSのメンバーとして活動する傍ら、2011年に『ピンクとグレー』で小説家デビュー。『傘を持たない蟻たちは』では作中の繊細な性描写が話題になり、『チュベローズで待ってる』では就職がうまくいかなかった大学生がホストになるまでを書いてファンを驚かせた。本書は小説家としてキャリアを重ねてきた著者が初めて挑んだエッセイ集だ。今までと異なり「加藤シゲアキ」というひとりの人間のパーソナルな面に迫る、ファンには嬉しい内容になっている。〈読者は僕と同様大体スケベで中身を見たがるから仕方ない。〉この一文が読めただけでこの本を手に取って良かったと思う(どこに出てくるかは読んで確認してみてほしい)。

僕が小説を書き始めたばかりの頃、偶然お会いした伊集院静氏から「三十五歳まではとにかく旅に行きなさい」という助言を頂いたことがあります。

 彼は大先輩の助言を受けて、様々な場所へ旅に出る。ヘミングウェイの『日はまた昇る』を手に向かったキューバ、父方の実家がある岡山、グラミー賞授賞式の招待を受けて訪れたニューヨーク、バワ建築に呼ばれるように向かったスリランカ、中学高校の6年間通った渋谷、ノートルダム大聖堂が焼ける前のパリ。同じ場所をもう一度訪れることはできても、同じ旅は二度と存在しない。そのときに出会った景色が著者の目を通して頭の中を流れていく。

 著者は本作でふたつの「死」に向き合っている。ひとつは父方の祖父の死、そして「もうひとりの親」の死だ。〈もしかしたら僕は祖父が苦手だったのかもしれない。〉歌って踊る方の孫と書く方の孫でふたりいると勘違いしていたお茶目な祖父。広島でのライブ終わりに介護施設に入った彼に会いに行った。久しぶりに会った祖父は孫のことを認識できなかった。そして、それが彼との最後の邂逅となった。死後に父から聞かされた祖父の姿に、読んでいるこちら側も胸をグッと掴まれる。

 祖父が亡くなって二年後に、もうひとりの親が亡くなった。もうひとりの親、自分を芸能界に導いてくれた親。「YOU、あのときは可愛かったのに、こんなになっちゃって」「最悪だよ」何年か前に彼から言われた言葉は魚の小骨のように著者の心の端っこに刺さり続けた。〈だからこそ願わくば、もう一度だけ、「よかったよ」という声を聞きたかった。〉彼が亡くなり他の「子供」たちと話す中で、著者はようやく「最悪だよ」という言葉から解放されていく。

 祖父への思いと、もうひとりの親への思い。尊敬しているし、畏怖の念もある。ふたりの存在は、著者の中で似た存在だった。恐れていたあまり充分に言葉を交わせず、いなくなってから本当はどんな人だったのか、周囲の口から聞かされる。そして、何もわかっていなかった自分に落胆する。近いけれど遠いふたりの死。いなくなってしまった人を想う長い長い旅は、まだ始まったばかりだ。

 3つの掌編にはいずれも南京錠が登場する。登場人物の人柄を表したり、これから起きる事象を予感させたり、物語のキーアイテムとして絶妙な役割を果たしている。どの話も読後感が爽快で、すぐにでもバイクに飛び乗って走り出したくなる。読み終えると、旅特有の心地よい疲労感が体を包んでいるのに気付く。そして、一緒に旅をしてきた彼のことが、もっと好きになっている自分にも気付く。もう少し歳を重ねたときにこの本を読んで、書いてある内容の青臭さに著者は恥ずかしく思うのかもしれない。でも、それでいい。自分の青さに向き合った事実は、一生ものの勲章になる。若さと葛藤のせめぎ合いが、眩しい。 ふじこ

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