落合陽一×川村真司(Whatever)「面白いものを作る秘訣は結局、『人』しかない」【前編】【アイドル総合】

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引用元:週プレNEWS
落合陽一×川村真司(Whatever)「面白いものを作る秘訣は結局、『人』しかない」【前編】

クリエイティブディレクター・川村真司(かわむら・まさし)の作風は幅広い。NHK連続テレビ小説『スカーレット』のオープニングの、ノスタルジックなクレイ・アニメーションも彼の仕事なら、抱きしめるとアルバム曲が視聴できるレディー・ガガの等身大人形も彼の仕事。

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アイドルグループ・TEAM SHACHIとカプコンのタイアップ企画では、ファミコン風のアクションゲームをまるまる一本作って宣伝広告にするという離れ業をやってのけ、見事に成功させたかと思えば、日本初のデザインミュージアムを作るため、『デザインミュージアムをデザインする』という番組をNHKと制作し、その活動の顧問も務める。

このように川村は、自身が率いる「Whatever」社の名前の通り、なんでもありの活躍を展開している。

そして成果物のみならず、働き方もなんでもありを志向しているようだ。彼の会社では「メンバーがどこにいるのかわからなくて、『あれ、北京にいるの?』みたいなこともよくある」のだという。広告業界=ブラックという不名誉なイメージを覆すような柔軟さ。川村がこのようなスタイルに行きついたのは、面白いものを作るための「秘密の方程式」を求めて遍歴を重ねた結果だった。

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川村 僕は生まれは日本なんですが、小さい頃家族とアメリカに渡って10年ほど暮らしていて、その後帰国し、慶應大学のSFCに入りました。学部2年のときに(電通から独立したクリエイティブディレクターの)佐藤雅彦先生のゼミにたまたま入れて、よくわからないままデザインやもの作りを始めました。

実際のプロジェクトを佐藤先生が持ってきて、それに対して学部生があれこれアイデアを考えて世に出していくというゼミで、プロの編集者さんに怒られたり、NHKのカメラマンさんに指導されたりしながらデザインを覚えていきました。

NHK・Eテレの『ピタゴラスイッチ』はその頃に始まったもので、僕はピタゴラ装置とかアルゴリズム体操を担当していました。今では人任せがほとんどですが、SFCの頃はプログラミングもやっていました。

そういうことをしながら学部時代を過ごし、さあ就活だとなったときに、学んだことを生かしつつ面白い、新しいものを作れてそれが社会的にも役に立つような仕事が世の中にどれくらいあるのか見えてこなかったんです。まぁ、実際そんな素敵な仕事はほとんどないのですが(笑)。

それで悩んだ結果、広告代理店の博報堂に入社しました。広告だとコンセプトを作る部分の仕事ができて、自分のアイデアと社会の接点を探れるのではないかという期待がありました。

博報堂ではCMプランナーの仕事に就いて、楽しいプロジェクトもたくさん関わらせていただいたのですが、職種柄、CMだけを千本ノックのようにずっと書き続けるんですね。さらには、当時の日本の広告業界ではまだデジタルコンテンツが全然なくて、プログラミングの経験も活かせない。それがイヤで、3年働いて辞めて、もともとアメリカで暮らしていた経験を活かそうと、海外に出ました。

最初はBBHというイギリスのクリエイティブエージェンシーに入って、日本オフィスの立ち上げを手伝ったり、シンガポール、ロンドンと移り住んで仕事をしたりしました。3カ国のオフィスを経験してそろそろ仕事のプロセスが見えたかなと思ったので、次の特訓の場としてオランダ・アムステルダムの180(ワンエイティ)というクリエイティブエージェンシーにノーアポで乗り込んで、そのまま雇ってもらいました。

海外の広告会社は、日本と違って基本的にクリエイティブ機能とメディア機能が別々に分かれています。日本だと、例えば電通さんはメディアも持っているから、新聞やテレビなどメディアで稼げるのですが、向こうはそうではなく、戦略とクリエイティブだけでフィーを取るビジネスをやっています。

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