高嶋菜七、上京の決め手は「誰も見たことがない世界を見てみたい」<TPD×TTV連載(6)前編>

[AdSense2]

高嶋菜七、上京の決め手は「誰も見たことがない世界を見てみたい」<TPD×TTV連載(6)前編>

2019年6月にCDデビュー5周年、結成6周年を迎えた6人組ガールズグループ・東京パフォーマンスドール(通称:TPD)。

【写真を見る】ガラッと雰囲気を変えて大人っぽい高嶋菜七…ほか、SPグラビア集

“ラッキーセブン”の7周年イヤーとなる2020年は年明け早々の1月4日(土)~7日(火)までグループの“原点”である東京・渋谷のCBGKシブゲキ!!にてFC限定イベント「Happy New Year 振袖撮影会」&ダンスサミット2020 inシブゲキ公演を行うなど、さらなる飛躍が期待できそうだ。

ザテレビジョンでは、そんなTPD結成7周年へ向けて「ROAD TO TPD2020 with TTV(ザテレビジョン)」と題し、2019年の8月から月イチでメンバー1人1人の魅力に迫る個人インタビュー連載企画を実施中。

グループでの取材では見えなかったホンネやデビュー当時の心境、今後の目標などをロングインタビューで掘り下げ、毎月1人ずつ前編・後編に分けて掲載している。

連載のトリを務めるのはグループのリーダーで、抜群の歌唱力を誇る“ディーバ”高嶋菜七が登場!

「前編」では、オーディション&上京秘話やCDデビューにまつわるエピソード、そしてソロ活動として出演した舞台について振り返ってもらった。

――もともと芸能界に憧れはあったんですか?

私はテレビっ子だったんです。ドラマは、毎クールほぼ全部見ていました。“月9”の「ブザー・ビート~崖っぷちのヒーロー~」(2009年、フジテレビ系)など、ハマった作品も多かったです。

それに、もともとかわいい女の子が好きだったこともあって、AKB48さんやE-girlsさんを歌番組で見ていました。特にHappinessの藤井夏恋さんのファンで、リリイベのハイタッチ会に参加したこともありました(笑)。

ただ、自分がアイドルグループの一員になりたいと強く思ったことはありません。なれたら楽しいだろうな…くらいで、そういう内に秘めた思いのようなものは誰にも言いませんでした。

――ということは、オーディションを受ける時には迷いが?

正直、最初は受けるかどうか迷いました。普通に関西で学生をしていて、中高一貫の進学校だったので大学進学も視野に入れていたんです。

将来的なことを考えた時に芸能界というのは華々しいイメージがあるけど、そんなに甘い世界ではないなと。当時は今よりも現実主義だったので(笑)、ちゃんと食べていけるのかという不安の方が大きかったです。

――芸能界入りに対する家族の反応は?

父がレコード会社の方と話をした時に、ちゃんと私の将来のことを考えてくださっていることが分かったみたいで。

母はどちらかというと勉強を頑張ってほしいと思っていたみたいなんですけど、父は自分の世界を貫き通すようなタイプだったということもあって「やっておいで」と言ってくれたんです。

母も最終的には「いろんな世界を見てみたら」って背中を押してくれました。

――オーディションで印象に残っていることは?

何度かやっていくうちに「あれ、これ受かるんちゃうかな?」っていう瞬間があったんです。手応えがあったというか、ちょくちょく呼ばれたりして、もしかしたらスタッフさんに気にかけてもらえているんかなって(笑)。

昔から人が好きなので、スタッフさんともよく話をしたりしてコミュニケーションを取っていたんです。まぁ、それが良かったのかどうかは分かりませんけど合格しました。

――合格した頃には、芸能界で生きていくという覚悟ができていた?

東京に行ったら何よりもお仕事が優先。その話を聞いて正直迷うところもありましたけど、イチかバチかで人生を選ぶ時に誰も見たことがない世界を見てみたいと思ったので上京することを決めました。

――ちなみに、昔から歌は得意だったんですか?

友達とカラオケに行く程度だったので、自分がうまいかどうかは分かりませんでした。しゃべる声が大きかったから声量はあるんかなって思っていたぐらい(笑)。

ただ、子どもの頃にピアノを7年間習っていたんです。だから音感はあったかもしれません。CMの曲とかも楽譜なしで弾けていました。

――耳で聴いただけで?

そうです。今は弾けませんけど(笑)。

■ お見送りで駅のホームが大変なことに!

――そして、いよいよ連載企画定番の「上京ストーリー」ですが、時期としては高校生の頃ですよね?

高校2年生です。私は、シンガポールに留学した経験があったので、東京は近いなと思っていました。一人で海外に住んでいた時も怖くなかったですし。

――小学生の頃ですもんね、留学したのは。

そうなんですよ。だから、精神が鍛えられ過ぎていて東京に行く怖さは何も感じませんでした。同じ日本やし、新幹線に乗ったら2時間半で着くので(笑)。

――ということは、涙、涙の“お別れシーン”はなかった…?

家族はもちろんですけど、友達と離れるのがものすごくつらかったんです。上京する当日は新大阪の駅に家族と、仲の良かった友達が20人ぐらい見送りに来てくれて。

駅のホームは大変なことに(笑)。みんな泣いているから私も泣いてしまいました。

実は(橘)二葉も新大阪からの出発だったんです。だから、新幹線の中で一緒に泣いていました、名古屋まで。

――結構、泣いていましたね。

新幹線が動き出したらホームを走って追い掛ける子がいたし、私が大好きだった「りくろーおじさん」というお店の「もちっこきなこ」をくれた友達もいたので、全然涙が止まりませんでした。二葉もずっと泣いていましたね。

――青春ドラマの1シーンみたいですね!

ホントにうれしかったですし、離れ離れになるのがすごく寂しかったです。二葉と一緒にずっと泣いていて、新幹線が名古屋に着いたら(上西)星来が乗って来て。今度は3人で、また泣いていました(笑)。

――同じ新幹線にTPDメンバーが3人乗っていたという事実に驚きました。

私と二葉と星来は同じチケットで品川に行く新幹線組。いさき(櫻井紗季)、(浜崎)香帆、(脇)あかりは飛行機組でした。

――上京してからホームシックにかかったことは?

最初の頃はレッスンを中心にやることが多かったし、今までとは違う東京での生活やメンバーと一緒にいる時間がとても刺激的だったので、寂しいという思いはあまり感じませんでした。

ただ、上京してしばらくたってから帰省する機会があったんです。久しぶりに友達と会ったり、実家でのんびりしていたら、東京に戻るのが嫌になっちゃって。

――気持ちがリセットされてしまった感覚?

大阪で過ごした時間が楽し過ぎて。また、みんなと別れるのがつらくて泣いてしまいました。一度戻ったことで、より強く寂しさを感じてしまったんだと思います。

――グループを結成してからの活動としてはPLAY×LIVE「1×0」とバラエティー番組「東京号泣教室~ROAD TO 2020~」(TOKYO MXほか)がありましたね。

PLAY×LIVE「1×0」では、同じことを何度もするという難しさに直面しました。全部で100ステージ以上もありましたから。毎日同じことをやるんです。

これはどの舞台でもそうなんですけど、毎回忠実に再現しないといけない。クオリティーも含めてちゃんとしたものをお客さんにお見せするわけですから、かなり精神力が鍛えられました。

PLAY×LIVE「1×0」の経験は間違いなく次の舞台で生かされましたし、基礎を学ぶことができたと思います。そして「東京号泣教室」は、古田新太さんが校長役で出演。

今思えば、まだデビュー間もない私たちにとっては、信じられないぐらい恵まれた環境だったと思います。芸能界のお仕事を7年間続けてきた今だからこそ、そのすごさがよく分かります。

あの頃の自分たちに「恵まれているんだよ」って伝えてあげたい(笑)。古田さんは今でもTPDのことを娘のように気に掛けてくださいますし、ゲストで来られた山西惇さんとは後に音楽劇「魔都夜曲」で共演させていただいたり、いろんなご縁もあった番組でした。

■ デビュー曲は「歌うたびにデビューの頃を思い出します」

――グループ結成から1年後の2014年にシングル「BRAND NEW STORY」でCDデビュー! 当時のことは覚えていますか?

東京に来たからには絶対デビューしたいと思っていたので、“やっと”CDを出せるのかという気持ちでした。

――CDデビューまでの1年は長く感じましたか?

ずっと「1×0」をやっていたので、このまま一生舞台だけなのかなって。「アイドルグループってライブをするんじゃないの?」という疑問は正直心の中にありました。

ただ「1×0」でも少しずつライブをやるようになってきて。その時は先代のTPDの曲が中心で、私たちのオリジナルは「1×0」で歌っていた「DREAMIN’」と劇中の挿入歌ぐらい。

だから「BRAND NEW STORY」をCDデビュー曲として頂いた時は本当にうれしかったです。

――やはり、デビュー曲には特別な思いが?

私たちにとっても大事な曲。歌うたびに、デビューの頃を思い出します。

――歌詞に対する解釈や歌い方が変わったなと思うことは?

音源を聴いたら分かると思うんですけど、歌い方がとても幼いんです。実はこの間メンバーと話していて気付いたことがあるんですよ。

デビュー当時と比べたら、それぞれ歌い方が変わってきているはずなんですけど、なぜか「BRAND NEW STORY」だけは昔のままというか、どうしても初々しさが残ってしまうんです。

――興味深い話ですね。

大人っぽく歌おうとすると気だるい感じになってしまうんです。もしかしたら、曲に合った歌い方というものがあるのかなって。これからも「BRAND NEW STORY」を歌う時は初々しさを大事にしたいと思います。

――ここからはソロ活動について。2017年の音楽劇「魔都夜曲」では香帆さんとのダブルキャストで李香蘭を演じました。

私にとっては「1×0」以来となる初めての大きい舞台。これはいろんなところで言っているんですけど、草野球からいきなりメジャーリーグに行った感じです(笑)。

――それは、かなりの飛び級(笑)。

そうなんですよ、主演が藤木直人さんで、マイコさんがヒロイン。他にも橋本さとしさん、村井國夫さんという舞台の世界で活躍されている大先輩たちと共演させていただきました。

オーディションで選ばれて参加することになったんですけど、ものすごく苦戦しました。

――何が難しかったですか?

演出の河原雅彦さんは、それぞれの役者さんに向き合ってくれる方。私がよく言われたのは「点と点を線でつなげて演じる」ということ。

ちゃんと感情をつないでお芝居することが大事だと教わりました。でも、それがすごく難しいんです。全然うまくできなくて稽古中に泣いていました。歌に関してもミュージカル調の歌い方に苦戦。

私はどちらかというとJ-POPの歌い方なので李香蘭が歌う「蘇州夜曲」はとても苦労しました。稽古でも本番でもずっと悩んでいたので、千秋楽は言葉ではうまく表現できないぐらいの達成感がありました。

それだけ大変だったから、この経験を次につなげたいという気持ちになったことを覚えています。

――その次はすぐやってきました。1年後の2018年に出演した舞台「タイヨウのうた~Midnight Sun~」の思い出は?

「魔都夜曲」を超えるものにしたいということが自分の中の目標だった作品。私立恵比寿中学の柏木ひなたが演じるヒロインを支える親友役だったんですけど、自分に合っているキャラクターだなと思いました。

TPDのメンバーとはいつも一緒に支え合いながらやってきたので、共感できる部分があるなと。あとは…。

――あとは…!?

湘南に住んでいて日焼けをしているという設定だったんです。私も色黒だからぴったりやなって。初めて日焼けしていることが生かされました(笑)。

(ザテレビジョン・取材・文=月山武桜)

コメント

タイトルとURLをコピーしました