『少女A』発売待たずにファーストアルバム発売 販売担当者「出遅れ感を挽回したかった」 中森明菜の軌跡と奇跡【アイドル総合】

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引用元:夕刊フジ

 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】

 デビューから2カ月。中森明菜のファースト・アルバム『プロローグ〈序幕〉』は1982年7月1日に発売された。第2弾シングル『少女A』のリリースから28日も前の発売だった。

“花の82年組”といわれるアイドルの中で、明菜のデビューは「どうしても出遅れ感があった」(音楽関係者)が、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の販売担当者は「業界内に漂っていた出遅れ感をアルバム発売で挽回したかった」と胸の内を明かす。当時を知るアイドル通の古参芸能関係者は振り返る。

 「確かに明菜の2カ月も前にデビューした小泉今日子がアルバムを出したのは8月21日。石川秀美に至っては9月21日だったんです。もっとも三田寛子の5月21日や、堀ちえみと早見優の6月21日と多少のバラ付きはありましたが、正直いって新人でも決して知名度が高くなかった明菜のアルバム発売はインパクトはありました。というより第2弾シングルを待たずにアルバムというのは、やはり冒険だったと思いますね。もちろん他の新人アイドルと差別化を図りたいという思惑もあったかもしれません。おそらくシングルではなくアルバムで勝負をかけたかったのでしょうね」

 確かに急いでいた面もあったのかもしれない。アルバムジャケットなどで使用された写真は、デビュー・シングル『スロモーション』のジャケットや宣伝材料としてグアムで撮影されたストック写真だった。

 一方、明菜のプロモーションで重大な出来事があった。ワーナーで明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)が明かす。

 「実はグアムで撮った水着写真をアルバムのプロモーションで、レコード店頭用の告知ポスターに使うことになったんです。ところが、出来上がったポスターを見たら、明菜の腕や足などに赤い斑点的なものが写っていた…。もちろん紫外線による肌の荒れ、あるいは体調面もあったのかもしれませんが、これは使いえないと急遽、ボツになりました。ただ、アルバムの歌詞カードは大きなサイズの写真はカットし名刺ぐらいの大きさで使用しました。ただ、それがきっかけで、今後の明菜の水着はすべてやめることが決まったのです」

 70~80年代のテレビのバラエティー番組はアイドルを水着姿にした特番があふれ返っていた。週刊誌のグラビアも水着が定番だったが、明菜には無縁のものとなった。

 アルバムの収録曲も「デビュー前に出来上がっていたもの」で、シングル候補曲としてレコーディングも終了していたものばかりだった。

 「デビュー前にロサンゼルスでプロモーション用ビデオとかジャケット撮影をしていたので、アルバムのプロモーションでも流用していました。ただ、このアルバムのラスト曲『ダウンタウンすとーりー』は、今でも名曲だと思っています。伊集院静さんのペンネーム(伊達歩)による作詞でしたが、明菜自身も一番のお気に入りで、何といってもファンからの評判が高かった。その後のコンサートでは必ずセットリストに入っていたし、盛り上がる1曲となりました」(富岡氏)

 そんなファースト・アルバムだが、ジャケットには工夫もあった。富岡氏は懐かしそうに振り返った。

 「ジャケットの帯の上にシンボルイラストを入れたんです。私の手作りのシンボルイラストだったのですが、少女コミックとマリリンモンローの映画『7年目の浮気』の名場面のスカートを押さえるしぐさをデザイン化したものだったのです。明菜のデビューのキャッチフレーズが『ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)』だったことから考えたのですが、当時の、アイドルのアルバムにシンボルデザインを入れるのは珍しかったと思います」(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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