PL×横浜・延長17回の死闘は、「2つの意味」で高校野球の歴史の転換点となった【アイドル総合】

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引用元:REAL SPORTS
PL×横浜・延長17回の死闘は、「2つの意味」で高校野球の歴史の転換点となった

1998年8月20日、高校野球の歴史に深く刻まれた激闘があった。第80回全国高校野球選手権の準々決勝、PL学園対横浜。延長17回、3時間37分、そして松坂大輔の250球。まさに死闘ともいえるその一戦は、点ではなく線で見てみれば、また違った輪郭が浮き彫りになる。現在の高校野球の潮流にもつながる、2つの出来事を振り返りたい。

(文=花田雪)

22年前の一戦が、現在の高校野球につながる歴史の転換点となった

高校野球の歴史を変えた一戦――。
記録や記憶を掘り起こせば、多くの試合が頭をよぎる。

高校野球ファンであれば、誰もが「この試合こそ!」という一戦が思い浮かぶはずだ。

甲子園のアイドル・荒木大輔(早稲田実/東京)、池田(徳島)の「やまびこ打線」、KKコンビ(桑田真澄・清原和博)を擁したPL学園(大阪)、松井秀喜(星稜/石川)の5打席連続敬遠……。

そんな中でもやはり、「一戦だけ」を挙げるとすれば、筆者は1998年夏の甲子園準々決勝・PL学園対横浜(神奈川)の試合を推したい。

1982年度生まれの筆者は、当時まだ高校1年生。メディアの世界に足を踏み入れる数年前だったので、多くのファンと同じくテレビでこの試合を目撃した一人だ。

地元が神奈川だったこともあり、当然のように松坂大輔を擁する横浜に肩入れして試合を観戦した。

試合は延長17回、横浜が9対7でPL学園を破り、翌日の準決勝・明徳義塾(高知)戦、翌々日の決勝・京都成章(京都)戦でも勝利し、春夏連覇を果たしている。

この試合自体の詳細は、すでに多くのメディアで語り尽くされており、当時はまだ高校生で試合の現場にもいなかった筆者が何かを語る必要もないだろう。

それでも、この試合が「高校野球を変えた」と実感できるのは、現在の高校野球の潮流につながる出来事が、この一試合で起こっていたからだ。

250球を投げ終え勝利を決めた瞬間の、松坂大輔の姿

一つは、投手の「球数」が大きくフォーカスされたこと。この試合、横浜の松坂はPL学園を相手に延長17回、実に250球を投げている。試合終了の瞬間、ガッツポーズを繰り出す気力もなく、ただただ「やっと終わった……」というように肩をがっくりと落とす松坂の姿は、多くのファンに鮮烈な印象を与え、この試合の過酷さを伝えた。

当時の高校野球は投手の球数や負担について論じられることなどほとんどなく、メディアも松坂の投じた250球を「熱投」と称賛した。筆者自身もこの「熱投」に何の疑問を抱くこともなく、たった2歳しか年齢の変わらない松坂の投球を見て、純粋に「すげぇ!」と興奮したクチだ。

松坂本人はこの翌日、右腕にテーピングを巻きながらレフトで先発出場。リリーフ登板でチームの大逆転劇を演出している。さらにその翌日の決勝戦では先発し、ノーヒットノーランを達成するという異次元の投球。皮肉なことに、松坂がその後の試合で快投を見せたことで「250球」そのものは大きな問題となることはなかった。

ただ、延長17回の文字通り「死闘」はその後、多くの議論を呼び、2000年春のセンバツから延長戦が15回までに短縮される遠因となった。

2000年以降は延長戦も含め、投手の球数問題が徐々に問題視され、2018年春のセンバツからはタイブレーク制が導入(これにより、延長戦は無制限に)、中止にはなったが今年のセンバツからは1週間500球という球数制限が初めて適用された。

松坂の投じた「250球」が、今もなお「熱投」「感動」といった切り口で報じられることが多いのは事実だ。ただ、少なくとも一人の投手が「1試合で何球投げた」という事実があそこまで大きく報じられたことは、それまでの高校野球にはなかったと思う。

その意味でも、あの「250球」はその後の高校野球に大きな影響を与えたといえるだろう。

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