何より“魅力的なレスラー”だった。木村花の記憶は笑顔とともに。【アイドル総合】

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引用元:Number Web
何より“魅力的なレスラー”だった。木村花の記憶は笑顔とともに。

 悲しみとともに怒りがこみ上げる。なぜこんなことになったのか、こんなことがあっていいはずがない。そんな言葉が何度も何度も口をつく。

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 5月23日、人気レスラーの木村花が世を去った。所属団体スターダムが公式に発表している。本人のインスタグラムに「愛してる。楽しく長生きしてね。ごめんね」という投稿があり、たくさんのファンが心配していた。まさにその時に飛び込んできたニュースだった。

 詳細についてはまだ公表されていないが、彼女は恋愛リアリティ番組『テラスハウス』に出演中で、カメラの前での振る舞いが一部の視聴者から批判されていた。いや批判というよりSNSを使っての誹謗中傷、罵詈雑言だ。どうということはない日常のつぶやきにさえ「いなくなればいい」といった言葉が投げつけられた。

 そのことを苦にして彼女は自殺したのだと見られており、すぐにインターネットにはびこる言葉の暴力について、またリアリティショーの問題点についての議論が始まった。木村花という若者の死が、現代の世の中における最悪の部分に一石を投じたのだ。

 だけど彼女は世界をよくするための“石”ではなかった。多くの仲間、ファン、友人から愛された女性であり、将来有望なプロレスラーだった。筆者がこのコラムで書きたいのは、そしてプロレスを知らない人にも伝えたいのは“SNS社会の犠牲者”よりも“向こう10年以上、業界を背負って立つはずだった魅力的なプロレスラー”としての木村花だ。

なぜ、この記事を書くのか。

 頻繁に彼女の試合を取材してきたわけではないから、編集部からの執筆依頼には戸惑いもあった。といってこのコラムを書かなければ、世の中から“レスラー・木村花”についての記事が1つ減ってしまうことになる。

 だから書くことにする。

木村響子と花の親子対決に見た厳しさ。

 木村花は1997年9月3日、木村響子の娘としてインドネシア人の父との間に生まれた。子供の頃からプロレスラーでシングルマザーの響子につれられて試合会場を訪れ、レスラーや関係者に可愛がられていたそうだ。武藤敬司が校長を務める『プロレス総合学院』の1期生として入学式に出席した時には「あれ木村さんとこの花ちゃん?」と多くの人間が驚いた。

 プロデビューは2016年3月30日。対戦相手は学院の同期、後に“筋肉アイドル”として芸能界でも活躍する才木玲佳だった。

 同年8月には新木場1st RINGで『デビュー記念興行』が開催された。

 母の人脈もあり豪華なメンバーが集まったイベントのメインは響子と花の親子対決。母は自分と同じ道を選んだ娘を突き放すように攻め込み、腕ひしぎ十字固めでギブアップさせた。腕十字は、総合格闘技の試合をしたこともある響子にとって「自分の中の刀というか、相手に何をやられても最後はこれで勝てるよっていう」武器だった。

「プロレスラーはそういうものも身につけなきゃいけないんだよって伝えたかったんですよ」

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