ウッチャンナンチャンがこだわった「筋書きの強さ」 かが屋、アイロンヘッドに続く東西笑いの源流【アイドル総合】

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引用元:withnews
ウッチャンナンチャンがこだわった「筋書きの強さ」 かが屋、アイロンヘッドに続く東西笑いの源流

リニア中央新幹線が開通すれば67分で結ばれる東京と大阪だが、文化の違いは今も色濃く存在する。とくに、歌舞伎から派生した喜劇がルーツにある「コント」においては、「吉本新喜劇とザ・ドリフターズ」、「ダウンタウンとウッチャンナンチャン」、そして、最近では「アイロンヘッドとかが屋」も。時代を経て今なお感じる、関西と関東の笑いのスタイルをたどってみた。(ライター・鈴木旭)

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鉄道が起点となった関西の娯楽文化

日本のコント史の原点にさかのぼると、関西と関東の演芸や劇場の成り立ちの違いにたどり着く。

関西では、鉄道の利用客を増やすため、主要な駅の近辺に劇場を構えたことで娯楽文化の発展につながった。1914年に阪急グループ創業者・小林一三が、兵庫県宝塚市の劇場に「宝塚少女歌劇団」を結成。これが宝塚歌劇のはじまりとなった。

吉本興業は、その少し前の1912年に大阪市内に寄席を構えている。創業期は落語を中心に動員を伸ばし、代名詞でもある漫才が主流になった1930年には、漫才専門の寄席小屋を開館して人気を博した。

その一方で1920年代に東京へも進出。1935年には東京の拠点となる「浅草花月劇場」を構えている。大阪とは趣向を変え、流行歌手やタップダンサーなどを出演させて盛況となった。

欧米のモダンさがブレンドされた関東の喜劇

そもそも浅草は、江戸時代から渡来した動物(ゾウやラクダなど)や珍品・芸を見せる見せ物小屋、芝居小屋の中心地だった。流行の先端や物珍しいものを見る土壌がすでにあり、演芸もまた同じように進化していった。そんな浅草の土地柄を吉本興業も重視し、東京ではモダンさを感じる路線がふさわしいと考えたのだろう。

一方で、東京出身の喜劇役者として有名なのが古川ロッパだ。1933年、ロッパが旗揚げした劇団「笑の王国」は、歌舞伎・新派から派生している喜劇(アチャラカ)に、欧米のミュージカルを意識して音楽を盛り込み新しい風を吹かせた。こうした欧米文化に影響される現象は、東京の特色と言っていい。つまり、関西と関東の味わいの違いは、街の文化そのものの違いなのだ。

大阪は「商人の街」らしくニーズに沿った合理的な娯楽が発展し、東京は江戸時代から続く「文化のブレンド」を特色として新しいスタイルの娯楽が生まれていった。

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