全国民困惑の休校要請、場当たり的で五月雨式の極み

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引用元:JBpress

 (舛添 要一:国際政治学者)

 まったくなっていない。新型コロナウイルスの感染に対する政府の対応は、後手後手である。

【写真】武漢の病院で治療に従事する医療スタッフ。防護服にゴーグルをし、隙間はテープでマスキングしている。

 専門家会議が設置されたのが2月14日であるが、前日に神奈川県の80代の女性が新型肺炎で死亡しており、それで慌ててこしらえたような感じであった。初会合は2月16日。この時点ですでに、日本で初めて患者が出た日(1月15日)から、1カ月も経っていた。

■ いま必要なのは感染症対策だけでなく日本全体の危機管理

 感染源が不明なケースが日本列島各地で続出するに及んで、ついに政府は2月24日に専門家会議に諮って、25日に基本方針をとりまとめた。

 その基本方針によれば、まず現状認識については、一部地域で小規模な集団発生があるが、大規模な感染拡大ではないとしている。そして、水際対策から国内対策に重点を移し、流行の規模とスピードを落とし、重症者を減らしていく。また、経済への悪影響を減らすことも謳っている。

 また症状については、普通の風邪とあまり変わらないが、特徴としては、37.5度以上の熱が4日以上続くことを挙げている。

 国民に対しては、感染防止のために「せきエチケット」を守ることや手洗いの励行を求めた。そして、風邪症状のときは安易に職場へ行かず、密閉空間での濃厚接触を避けること、また、イベントも自粛することを要請している。

 この基本方針の取りまとめが行われた日の翌26日に開かれた対策本部の会合で、今度は安倍首相が直々に、大規模なスポーツ・文化イベントについては「2週間の自粛」を求めた。

 それを受けて、PerfumeやEXILEは当日26日夜の公演を中止した。また、プロ野球もオープン戦の全72試合を無観客で実施することを決定。このように各種イベントが次々と中止に追い込まれている。 また基本方針では、医療体制について、地域で患者数が大幅に増えた状況では、一般の医療機関で感染が疑われる患者も診療できるようにするが、症状が軽度のときは、自宅での安静・療養を原則とすると明記されている。

 2009年に新型インフルエンザが発生したときは、その時期が5月の連休と重なったため、やはり各種イベントが中止になり大混乱に陥った。関西では修学旅行が中止になり、観光業界を含め経済界に甚大な被害が出て、厚労大臣の私の許にも京都や大阪から数多くの陳情が寄せられた。政府全体で補助金などの対策を講じたが、感染症対策と経済活動の維持のバランスをどうとるかというのは、難しい課題である。これは感染症の専門家が解決できる問題ではなく、それこそ政治指導者の出番なのである。

 ところが25日の基本方針では、大規模イベントの自粛を決めながら、具体的判断基準すら示さなかった。そこを批判されたからなのか、翌日になると突然、「2週間」という期間を示した。だが、これは危機管理としては失格である。どの程度の規模を「大規模」というのか、どれくらいの期間の措置なのか、本来は最初から決めておかなければならないのだ。

 また、専門家会議に感染症の専門家を集めるのは当然であるが、基本方針の策定に当たっては、大規模イベント業界の専門家、商工業界の代表、教育現場の代表など、基本方針が影響を及ぼす分野の専門家の意見を広く聴取すべきなのだ。日本国全体の危機管理が問題なのであって、感染症対策のみを行っているのではない。

■ イベントや活動自粛のツケは全て国民が負担するのか

 安倍政権の対応ぶりを見ていると、大日本帝国陸海軍を思い浮かべてしまう。戦時中の大日本帝国軍には大戦略がなく、小手先の戦術のみで、無能な司令官が朝令暮改の指示を与えたため、討ち死にする兵隊が続出した。クルーズ船の地獄絵はまさにこれに瓜二つである。司令官であるべき橋本岳副大臣が乗船して失笑ものの写真をSNSで発信し、しかも感染の疑いで自ら隔離されることになる。このような愚を繰り返してはならない。

 本来は、感染源の不明な感染者が出始めた2月13日頃には大規模イベントの中止を決めるべきであった。結局、ここでも決定が遅すぎ、後手に回ってしまった。

 しかもイベント自粛要請そのものも、その後の補償や業界の救済などについては一切念頭に置かずに、決定してしまった。これでは、収容先も決まっていないのに、武漢までチャーター機で飛ばしたのと同じである。そのため、「チャーター機で帰国した人々はホテルで相部屋」という信じがたい措置をとり、世界を唖然とさせてしまった。

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