ユニコーンが到達した最高峰アルバム『ケダモノの嵐』【アイドル総合】

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引用元:OKMusic
ユニコーンが到達した最高峰アルバム『ケダモノの嵐』

OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』のアーカイブス。今回は80年代後半からのバンドブームにおける最重要バンド、ユニコーンの4thアルバム『ケダモノの嵐』を紹介する。メンバー全員が曲を書き、ヴォーカルも務めるという日本では珍しいスタイルで、ビートルズを始めとする洋楽へのオマージュを隠すことなく自らのサウンドを作り上げ、コアな音楽ファンをも唸らせた日本屈指のバンド、ユニコーン。その作品は再結成以降のアルバムも含めて傑作揃いだが、彼らの最高傑作として推したいのが本作だ。90年代のみならず、邦楽ロックの傑作のひとつとして是非一度は聴いてほしい名盤である。
※本稿は2016年に掲載

見事だった突然の復活劇

2009年にユニコーンが再結成した時、これまた活動休止からの復活経験がある某バンドのリーダーが、そのユニコーンの振舞いに舌を巻いていたことを思い出す。「それまで噂すらなかったのに突然、新曲リリースを発表。しかも、ヴォーカルは阿部さん。ああいうやり方はウチらにはできない。完全にやられた」とかなり羨望の眼差しで語っていた。

確かに通常バンドの復活時には少なからずエクスキューズが必要なところはある。例えば、結成○周年とかデビュー○周年といった節目であったり、大規模なチャリティー目的であったり、あるいはメンバーや関係者の訃報に際して…といった具合で、そこまで何もなかったかのように「活動再開しました!」というケースは稀だ。というか、そんな例はユニコーンしか知らない。

確かに、もしユニコーンが結成20周年だった2006年辺りにスポーツ新聞のスクープとかで再結成をすっぱ抜かれていたら、それはそれでユニコーンらしくなかった気もするし、むしろそういった掴みどころのなさというか、どこか人を食ったような感じこそがユニコーンっぽさとも言える。

3rdアルバム『服部』での覚醒

そんなユニコーンも最初から掴みどころがなかったわけではない。デビュー作である1stアルバム『BOOM』ではヴォーカルは奥田民生(Vo&Gu)オンリーだし、コンポーザーも民生がほとんど。「Maybe Blue」や「Pink Prisoner」で聴かせるメロディーセンスはさすがだが、全体的には真面目なビートバンドといった印象である。

また、阿部義晴(key、現:ABEDON)加入後の2ndアルバム『PANIC ATTACK』は後の片鱗をうかがわせるナンバーもあるものの、(これは後付け的な物言いになるが)いかにも過渡期であることは否めない。民生とEBI(Ba)を前面に出したジャケットからはスタッフサイドがセールスプロモーションに苦心している様子もその印象を後押しする。誤解を恐れずに言えば、まだアイドルバンドっぽいのである。

やはりユニコーンの覚醒は3rdアルバム『服部』からと見るのがよかろう。アルバム名が“服部”で、ジャケットが鳶職のおじさんの顔のアップ。これだけでも十分にふざけているが、1曲目「ハッタリ」でのオーケストラによるインストはまだいいとして、2曲目「ジゴロ」では以下のような歌詞が綴られている。《俺はジゴロ とてもジゴロ/なびいた女は数知れず》《せびったベンツは数知れず》《不埒なこのテクニック 冷えない愛が欲しいぜ/でもまだまだベビーは欲しくない》。しかもこれを歌っているのはメンバーではない。当時10歳だったという、かわいらしい子供(ヴォーカル名は“ペーター”とある)による歌唱である。冒頭からやりたい放題なのである。11曲目「人生は上々だ」は、歌詞は引用掲載しないが、“ボーイズ・ラブ”を通り越して、“「ウホッ!! いい男」系”(伝わるか?)といった内容。それらを交えながら、重厚感のある3曲目「服部」、ポップで疾走感のある4曲目「おかしな2人」、名バラード10曲目「デーゲーム(服部仕様)」、そしてバンドの代表曲13曲目「大迷惑」と、サウンド、メロディー、歌詞全てにおいて、極めてバラエティー豊かな楽曲が並んでいる。このやりたい放題はむしろ吉と出た。前作からのさらなる音楽的深化を多くのリスナーが歓迎し、このアルバムはチャート3位というそれまでの最高位を記録。ユニコーンは大ブレイクを果たし、折からのバンドブームにおいてその頂点に立った。

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